患者の自己決定権
1960年代アメリカで患者の人権運動の高まりの中で医師のパタ-ナリズムに対する不信と不満が広がる中で医師の独善的な医療への不満から、自分の受けた医療に疑問を持ち医師を訴える人が多くなりました。1957年の米国の判例に初めて「インフォムドコンセント」という用語が使われたということです。自由民主主義的個人主義を基調とするデモクラシ-社会のアメリカで1960年代から1970年代の初め頃までに、患者の権利と医師の義務という見地から見た患者-医師の人間関係をめぐる新しい生命倫理観に基づく裁判上の法理として裁判基準が確立されました。(星野一正「インフォムド・コンセント」)
日本でも昨今「説明と同意」と訳され、予め説明を十分にしたらそれで良いと安易に考えられがちであります。
しかしながら患者の権利であり、医師の義務であるということになりますとこれは大変なことになります。患者には自分の運命を決める権利があり、その決定のための十分な説明が医師の義務というわけです。此れが患者の自己決定権です。この患者の自己決定権の前ではガンの告知など全く色褪せてしまいます。当然のことであり議論する余地はないのです。勿論ガンの告知を受けたくないというのも自己の選択により決定出来るのです。
自己決定権の最たるものは自殺を肯定するところまで行き着きます。安楽死法がアメリカやオ−ストラリアで法制化をめぐって論議された背景には自己の生死さえ自分の意志で決定するのだという強烈な自己主張に基づいているのだと思います。
このような考え方がそのまま日本の社会に受け入れられるとは考えられないが、個人主義的デモクラシ−の行き着くところはこの方向だということも十分認識しておかなければなりません。
当然のことながら自己決定権には自己責任の裏付けが無ければなりません。日本のようにまだまだ個人主義的デモクラシ−の根づいていない、お上が主導の社会では,自己責任にもとづかない自己決定の主張は,勝手な言い分として医療者側には、はなはだ迷惑な主張と受け取られがちですが、患者の権利として主張されだしたこの方向を押しとどめたり、逆転したり出来るものではありません。それなら勝手な言い分としてではない自己責任に基づいた自己決定権の主張の方向に向かうよう社会をリ−ドするのも私たち医療関係者の仕事と考えなければなりません。